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武道としての「砲術」は実践的だったか。



日本武道全集は1960年代に、東京教育大学体育史研究室と日本古武道振興会共同編集による日本に伝わる様々な武道を歴史的、学問的にとらえたもので純然たる学術研究書だ。

その第四巻が「砲術、水術、忍術」で、人物往来社刊、B5版482ページの厚紙表紙、紙ケース入りの堂々たる本だ。この巻は1966年に出た。白黒印刷、価格3000円だった。今村 嘉雄氏が編集していた。約半分の224ページ分が「砲術」である。
図、古文書、写真などが多く挿入され分かり易い。(古文書は土浦の飯田さんが専門だ。)

江戸時代約250年間、日本には戦闘が無かった。それなのに武道は盛んになり、各種武道家は、プロとしてその技を教えることで、生計を得ていた。いや、従来の戦闘員が職業たる戦争がなくなり、一部エンタメ的に武道を教えてのだ。
砲術もその例外ではなかった。この本によれば、江戸時代初期に10あまりの流派が幕末には200になったと言う。

所謂「伝書」というもの、「免許」というものが幅が聞かせ、役割や規則が再分化された。
従って、単に戦闘で鉄砲を使うというものではなくなった。その例が棒火矢だ。
大口径火縄銃の銃口に指しこんだ棒が燃えながら飛んでいき、船や家屋などに火災を発生させると言う
触れ込みだが、前装銃協会で赤羽氏が主催で実験したが、どうみても実践的な兵器ではなく、人を喜ばせる目的の、花火のような機能だと感じた。

主な流派は、本の順では、津田、稲富、自覚、田付、天山、荻野、森重、井上などで以上の流派は火縄銃を使うものだったが、幕末、洋式の高島流などが出た。この流派の数は藩の数に合い、日本の古武道の
流派が幕藩体制と無関係でなかったことを意味していた。
流派間の競技は無かったようだ。
日本の古武道的なやりかたでオリンピックに勝てたか、勝てなかっただろう。
流派に分散するのでなく、どれかに集中し、効率的訓練を行わねば、「オリンピック」に勝てなかった。
明治政府はその点を良く認識し、日本を文化面でも統一し、欧米に当たったのだ。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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