コメント
No title
昭和の軍刀は早く16年辺りから、質が変わっているように思います。半鍛錬や油焼きなど時間短縮、歩留まりの向上などより量産に入ってゆくようです。
No title
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海軍短剣など柄を壊してでも調べ、駄目なら切断。
遺族ならば相続に限りと言い渡して、と「温情」もありましたが今はどうか?
No title
鉄棒みたいなものですね。
日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。
1943年、昭和19年は日本の兵器生産の曲がり角だった。
特に帝国陸軍兵器だ。戦闘機は高性能な機種が次々と開発された。
小火器は省力化が進んだ。
九九式小銃のこの年の生産をみると数は多いが年初と年末では品質が大きく違う。
九九式軽機関銃は製造刻印の横に年と月が入っているので分かりやすい。
この無可動は日立で11月に製造されたが、堤把と呼ばれる握り、重心位置にあり、これを持って運搬する。ピストルグリップ、射撃するときに右手で握る部分には、筋が無くなった。
さらに、銃床の後部にあった折りたたみ式のスタンドもなくなった。
しかし職人芸というか、その仕上げ、バランスはとても良い。
食べ物ない、爆撃のこの時期、誰がどのようにこれらを作ったのかとて興味があるが。そういう記述は名古屋工廠史にしかみない。
ベトナムは戦争中、兵器弾薬の補給はほとんど100%、ソ連が行った。自国で開発、生産したものは皆無と言って良い。そこがたとえ戦争には勝利しても、あとに残ったものが日本とちがっていた。
日本は戦争で多くの犠牲を出し、失いさらに賠償までした。しかし残った何かがあった。
これも現代史、しっかり勉強して教えてほしい事実だ。