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梯久美子著新刊「栗林中将の最後」文春新書2010・7・29


昨日の昼、4年ほど前に大宅壮一賞を受賞した「散るぞ悲しき」栗林中将の話を書いたノンフィクションライター、梯久美子女史の新作発表と話を聞いた。

そもそも彼女が先の大戦をテーマとし、また硫黄島に興味を持ち、そこで散った人々の話を書くようになったことから、今年の慰霊祭参加(都合4回渡島した)からはじまった。

恐らく「散るぞ悲しき」におさめきれなかった内容をその後取材した事実と合わせ、追と言う形で出版したのだろう。感動的な話が多い。

硫黄島、アメリカ軍は10万の兵力で臨み2万の日本軍守備隊を制圧するに、日本軍以上の死傷を出したこと、空母ビスクマークシーが特攻で轟沈したことなど、その損害の大きさ、日本軍の戦法に驚愕したのが事実だったろう。
日本軍2万の死者のうち13000柱の御遺骨はまだ発掘されてない。500あった地下陣地が
ほとんど塞がれ、すでに灌木が上を被い、どこに何があるか分からないからだ。

西大佐の話は前の本に追記と言うか詳しい。そしてもう一人ロス五輪で水泳銀メダリスト、慶応義塾体育会水泳部の河石達吾君の話がある。中国で戦い、再召集された。

彼女の話では硫黄島は戦闘の意味が日本軍、再召集された年齢の高い兵たちにも、目的が明確でとくに司令官栗林中将の戦闘指揮はアメリカで高く評価されているそうだ。
恐らく今でも彼らは自分たちの死は無駄死ではないと確信し硫黄島に眠っていると。

アメリカ軍は若い海兵が18-22歳くらいが主であった。1万近くが死亡、1万以上が自立生活ができない不具になる負傷。大きな犠牲だった。

島は占領後直ぐにブルが入り飛行場が建設され、P-51の護衛がB-29につくことになり、B-29の
不時着場になりその犠牲を減少させた。

画像は著者のサイン会、ご了解を得て撮影したものです。何十人かが並んだ。

「醜草の島に蔓るその時の皇国の行手一途に思う」栗林中将の辞世のうた、天皇皇后両陛下も慰霊に訪れられた。

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コメント

No title

僕の長野高校の同級生に栗林君というのがいる。中将の子供は女性ばかりだったので直系ではないが親類筋。中将は長野中学から陸軍士官学校、陸軍大学のエリートコースだが騎馬なので傍系。だから硫黄島へ送られたのだろう。因みに最近は「いおうじま」と言う人がC・イーストウッドの映画から多くなったが、僕らは「いおうとう」と呼んでいた。

No title

栗林中将は長野市に息子さんがいるそうです。騎兵は西大佐もそうだが、戦車隊になり、九七式中戦車を持ち、満州から転出。
「いおうしま」と言うのが正しい。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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