コメント
No title
心棒に熱鍛造で「リボン」をまきつける銃身製法は西洋も同じだったが、原料の鋼材品質にばらつきがあったので、平均化するためにツイストしながら巻き、結果的に「ダマスカス」文様となった。
火縄銃の表面は、確かに「継ぎ目」がほとんど見えませんね。手打ちで均質な鋼を作れ、接合技術も優れた証拠でしょうか。
No title
研究のテーマになり、江戸期からの小モノの在庫があるので、参考に
なります。
日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。
午餐会に行ったら、同じテーブルのオウ氏が新聞の切り抜きを呉れた。
私も購読している日経だが気が付かなかった記事だ。
200年の伝統ある中小の会社と言うコラム。出来さんの店が出ていた。
出来さんの銃砲店の由来は江戸期、紀州の殿様から貰った名だ。
実は私の祖父が終戦直後、水平2連を、多分、今の出来さんの祖父に注文したを持っていた。祖父のところに行くと山の中で撃つのを見るのが楽しみだった。
伯父が出来さん尊父、良造さんと友人で一緒に国体に出ていた。良造さんは前装銃連盟の創立のメンバーでもあった。伯父も射撃が好きで自分のクレー射場を山の中に持っていた。
そして、現在の店主、可也さん(かなり出来ると言う意味)が私と一緒で前装銃連盟副会長だ。関西を統括して、全日本選手権を和歌山で共催している。
長いご縁だ。
私の従兄が、出来製の水平2連を持っているはずだ。彼もまた国体の選手だった。
今週日曜に、千葉で行われたポルトガル杯で出来可也さんと一緒だった。
紀州は種子島から直接本州に鉄砲が来た地でありそこから、製造が堺そして国友に伝わった。
紀州筒は私も2挺もっているが、カラクリが独特だ。金具の断面が角だ。そして細身。
私の両親は紀州の出だから、紀州の鉄砲、そして紀州人の鉄砲への好奇、これが伝わたっているのかも
知れない。