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日本初の活字が使われた兵学書のひとつ「手銃論」



幕末に様々な技術が西欧から日本に入り、それらが基礎となり、日本は明治維新その後の大躍進、西欧化が進んだことは周知の通りだ。

その一つの例が画像の「手銃論」と言う兵学書だ。一と二があり、これは二だ。
原書はオランダのベルという人が書いた欧州の当時の小銃(手銃と訳したが)、特にライフル銃の理論だ。
本はB5版、106ページ(和紙に印刷し裏を使用せず、折り曲げて2ページにしたある、厚く見える)。
図面3枚(30x15cm)が付いている。
慶応三年(1867年)初頭に、幕府陸軍所の縄武館が発刊した。
翻訳者は大鳥 圭介(後の男爵)だ。

内容は少し前に欧州で一般的になった、前装ライフル銃のことで、恐らく「一」にはその機構が含まれ、
画像の「二」にライフル弾回転、照準、弾道、椎の実弾(それ以前は円弾だった)などの理論が述べられている。

この年、幕府はフランスのナポレオンIII世から、後装式のライフル銃シャスポー銃2000挺を寄贈されていたので、タイミングの良い内容だった。

大鳥 圭介は1833年生まれ、緒方 洪庵塾で蘭学を学び、幕臣として北海道まで戦い続けたが、恩赦を受け、明治政府に登用され、その西欧知識で国に貢献すべく日清戦争頃まで外交面でも活躍した人だ。
20種以上の兵制、兵器に関する本を翻訳したが、これがその一つだ。
このシリーズの印刷に幕府は亜鉛、錫の合金で活字を作り、従来木版であった日本の印刷を西欧化した。
しかしこの本の3枚の図面は木版だ。

同じ頃洪庵塾に学んだ福澤先生(諭吉)は、築城に関する本を翻訳していた。

いずれにせよ、江川砲術や、製鉄、造船など、各種の幕府が開発した西欧的技術は明治政府に引き継がれた。
明治維新の最大の功労者はと言えば、それは「江戸の徳川幕府」だ。
しかし、考え方の相違で、大鳥 圭介男爵のように間一髪のところで救われた人と、意ならずも命を落として人がいたので、明治天皇は靖国神社を建立し、そこの明治維新の混乱で命を落として人々を奉った。

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コメント

No title

大島圭介の生年月日違いませんか?

No title

直しました。ありがとう。ケイスケさん。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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