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台湾苦難の始まり 8月15日1945年 「悲情城市」


1989年作品、ホウ・シャオシェン監督「悲情城市」は、昭和天皇の終戦勅旨ラジオ放送から始まる。

台湾北部の基隆は港町だ。そこで船問屋を営んでいる林 文雄とその弟が日本敗戦後に受けた苦難の話だ。台湾には国民政府が進駐してきた。(アメリカは連合軍であった国民政府に台湾統治をまかせた。)
闇の世界も上海から一緒に来た。国民政府は近衛首相がかって言った通り「腐敗堕落」しきっていた。
物価は上がる。治安は悪化する。失業は増える。裁判所を家族経営にする。理屈が通らない。組織としての体をなしてなかった。
台湾の人間には耐えられないことであった。

はたして、1947年2月28日に国民政府および外省人(戦後中国本土から移住してきた人間)と台湾人の間で衝突、台湾人の知識層、若者が数万人殺害されたり、行方不明となった事件が起きた。

この映画は1949年末に国民政府が台湾に逃れ首都を台北にするまでの4年間の家族の話だ。
文雄は上海ギャングに殺害される。日本軍軍医としてルソン島に派遣された次男は復員しない。
三男は上海で麻薬で頭をやられたままだ。耳が聞こえない末弟は写真家で幸せな結婚をしたが、行方不明になる。

以下、台湾の取引先K社長の言葉だ。当時、彼は10代半ばの少年だったが、大学生の兄は2・28事件の際に行方不明となった。
「彼らの殺し方は荒いのです。男根を切り取り、それを喉に詰めて窒息させる。10数人もの人間の手のひらに穴を開け、針金で一本につなぎ、橋から河に放り込む。」(文化大革命でも同じような殺し方は横行した。)

20年ほど前、中国本土、台湾に仕事で出かけることが多かった私の感想だが、台湾と中国は明らかに
異なる。台湾は独自の文化を持った立派な国だ。

1949年当時、台湾は人口650万人(うち外省人200万人)、51年間に及ぶ日本統治が終わった
45年8月15日はまさに台湾苦難の始まりだった。
この映画は88年に台湾人であり、日本教育を受けた、李 登輝氏が総統に就任したから製作出来たようなもので、それまで2・28事件は封印されたままだった。
現在、人口は2200万人、国民党は野党になってしまった。

石原慎太郎都知事が言うように台湾が中国に一部として同じ国になれば、台湾人はまた同じような苦難を歩むことになるだろう。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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