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日清戦争 その1 [村田銃]存在の意義


朝鮮半島を主な戦場として戦われた、1894年(明治27年)7月から翌年4月までの10ヶ月間の
戦争である。

近隣諸国との歴史観を考える際に忘れてはならない戦争だ。
戦争の原因は、一言で言って「朝鮮李朝政権が現実をみず、また国内的にも力がなかったからだ。」

日本は朝鮮李朝政権を独立国と認めていたが、清は属国とみなしていた。
清が弱体化し、西欧勢力が伸びてくれば、自ずから対馬海峡がその国境になることは明白で、独立国として近代化に邁進している日本には由々しき問題であった。

清が朝鮮半島の混乱に出兵すれば、日本も要請がなくても何らかの理由(在留邦人保護など)で出兵せざるを得ず、それが衝突の発端だ。7月から戦闘は始まっていたが、宣戦布告は8月1日。
李朝は「清は巨大で強く、日本はとても敵わないであろう」との分析をしていたと言われている。

事実は戦争が始まると日本は24万人動員、清は4倍の98万人、船舶数も圧倒的に清が多かった。
(日本6万トン、清9万トン)
しかし、初戦で日本は黄海沖海戦で制海権を取り、大体どの戦闘でも清国に数倍の損害をあたえた。

画像の錦絵は明治27年10月に村上豊次郎が発行したもので、7月末の義州(牙城)の戦闘であろう。
わずか2ヶ月後にはこのような「報道」が国内になされていた。

日本兵(黒服)が使用しているのが村田十三年、十八年式小銃と銃剣だ。この二つの形式は機関部が若干異なるが、弾薬は同じ11mmだった。(詳細はjapaneseweapons.com参照)、村田銃は完全国産ですでに15万挺生産されていたので、動員数(将校、砲兵、海軍などを除く)
歩兵には行き渡っていた。なお二十二年式も完成していたが、この形式が日清戦争に使われた記述は
みない。村田銃と銃剣は日本軍の統一された火器で、清国には統一された兵器はなかった。
(銃砲史上、16世紀、明、清や李朝も火縄銃は一般的武器であったとする学者もいるが実物が残ってない。
私は鉄砲は中国大陸、朝鮮半島にも伝来していたが、当時、製造、運用の技術がなかった、と判断している。)

19世紀末、日本はすでに近代兵制で近代的訓練と兵器で戦争に臨んだので、陸海、殆どの戦闘で勝利した。画の日本兵のように銃剣付村田銃を上から振りかざして敵を刺すことは無理だ。

欧米ではこの戦争を「第一次日中戦争」と定義している。
(本当は「文禄慶長の役」が第一次で、これは第二次だが。)続く。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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