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陶器製手榴弾はあり得ない論文を仕上げた


兵器は科学と技術であり、戦闘は理論だ。

戦争の体験を語り継ぐことは非常に重要なことだ。

しかし、日中戦争から第二次大戦にかけて、大日本帝国の社会は兵器の開発や生産、戦争の状況などを極端に国民に知らせなかった。だから語り継ぎが正確か、論理が合っているか、疑問は大きい。

そんなかんやで、一工場の勤労動員された工員さんたちがいずれも高齢者になっているが、陶器製手榴弾を生産したと、そのカットアウトの見本まで持ってきてお話されたには参った。

陶器には陶器の割れやすい、薬品に強い材料の特質を活かした使い方があった。

実物の手榴弾は投擲し硬いものに当たっても割れたり、信菅が外れることはない。

陶器製の丸型、手榴弾は化学兵器、シアン、サリンなどを入れるか、スモーク(発煙弾)に使用したものだと言うのが書いた内容だ。

陶器製手榴弾の存在を信じている方々にはその信菅と爆薬の質、量、そして威力を論理的に証明して欲しい。

画像は実物の九九式手榴弾。このような頑丈な機能を本体を陶器製にしてどう出したのか?

陶器製手榴弾は投擲訓練用模擬手榴弾、そして陶器製手榴弾ありきの話から生まれた誤認ではなかろうか。勿論贋作も交じっている。

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コメント

No title

ここで仮に有効殺傷半径3m説を採るとすると、
この能力の戦術的意義・効果が問題となりますが、
先述の防御型手榴弾M67が有効殺傷半径15mであるのに対し、
同じ米軍が併用する攻撃型MK3A2は有効殺傷半径わずか2mです。
即ち、殺傷半径の小さい手榴弾にも適切な使用法と意義と効果があります。
これが日本軍手榴弾の殺傷半径が軒並み小さい理由でもあると思います。

No title

果たして陶器手榴弾の殺傷半径3mが妥協の産物であったのか、
(威力を増したければ投擲可能な範囲で大型化は可能だった筈です)
意図的な物であったのかは開発当事者以外知る由もありませんが、
「低威力であると推測されるから陶製手榴弾など有り得ない」
とは断言し難いと思いますが、如何でしょうか。
「日本が金属に困っていると言っても陶器の手榴弾など作るわけがない」
「九七式・九九式だけで2千万発も作ったのだから間に合っていた筈だ」
との御説についてですが、訓練用模擬弾でも毒ガス手榴弾でもない事が立証済みの
ドイツのガラス手榴弾・セメント手榴弾についてはどうだったでしょうか。

No title

ドイツもまた物資欠乏に喘いでいたのは言う迄もありませんが、
それでも敗色濃い1944年の1年間だけで榴弾砲15cm sFH18を2298門、
10.5cm leFH18/40を7827門、MP44突撃銃を約28万挺作っています。
もはや断末魔の1945年敗戦までの3か月間ですらMP44製造数は124616挺です。
日本の同格兵器生産量に関しては須川様には釈迦に説法でしょう。
手榴弾なら主力のStielhandgranate.24・39・43、Eihandgranate.39の
4種合計だけでも大戦全期通算約8千179万発を製造しました。
ドイツの方が遥かに金属資源も生産力も持っていた事になりますが、
それでもセメント手榴弾を作る事を余儀なくされました。

No title

以上の点から考えて、陶製手榴弾の実在を否定する論拠と成り得るのは
「軍による公式記録が発見されていない」の一点に絞られると思いますが、
同時にこれは「悪魔の証明」「不在の証明」ともなります。
無い物が無い事を証明するのは科学的・論理的に不可能です。
まさに仰る通り「兵器は科学と技術であり、戦闘は理論」です。
科学は理論と検証と反証と立証の反復であり、科学の解は常に暫定解です。
研究者として現時点で適切な判断基準は「オッカムの剃刀」だと愚考致します。

No title

1942年デミャンスク包囲下の独軍に空中投下された43年式突撃銃は、設計思想の革新性で後々の戦術に大きな変化をもたらしましたが。

信楽焼の小さな代用兵器に、こうまで皆さんが熱くなるのは不思議なこと。

No title

『常識』を論理で否定するのは難しいことです。贋作ですね。多分。

No title

宗教絡みの事件が示す通り、物証を以てしてさえ論理で観念を覆すのも難しい事です。
本題から外れますが、公式サイトの自衛隊武器学校所蔵機関銃の記事、
興味深く拝見致しました。
ブローニングM1917の項目の画像がブローニングM1919に、
74式機関銃の項目の画像がM2HBに其々入れ違っており、
「陸海軍ラインメタル7.92㎜2連旋回機銃・弾倉(ドイツMG-15)」
と解説なされているのは、南部麒次郎設計の三年式機関銃を源流とし、
八九式連装旋回銃を基本としてMG.15類似の弾倉に改良された
陸軍一式旋回銃であり、回転カム閉鎖式のMG.15とは開発経緯も
本体構造も無関係ですので、老婆心ながら御参考まで。

No title

ありがとうございます。一式旋回機銃はではどうして7.7mmでないのでしょうか?

No title

主殿に便乗するようで恐縮ですが、 tom 氏は博識と感じ入りましたので。
常々の疑問を、一言お伺いしたい。

艦船や航空機で独創性を発揮した戦中期の日本が、こと銃砲に関しては開発力も生産力もありながら、非常に模倣的・保守的であったと(私は)感じるのですが。

その背景はなぜでしょうか?

No title

現在書いている文のテーマのひとつです。第二次大戦が開始されると
突然、兵器開発の範囲が広くなり、開発者、技術者の不足がその大きな背景にあります。すでに日中戦争で国力を使い果たし、比較的大きな兵器、例えば陸軍三式戦の20mm機銃を800門、部品、弾薬とも
潜水艦でドイツから輸入したと言われてますが、そのかさ、重量を計算するとあり得ない話です。疑問ばかりです。

No title

一式旋回機銃は九七式車載重機関銃の航空機銃バージョンであり、九七式車載重機関銃は原型のチェコ機銃が7.92㎜モーゼル弾を使用しているからではありませんか?

但し、同じくチェコ機銃が原型の九六式・九九式軽機関銃は三八式・九九式小銃と共通化する必要があったからと・・・。

No title

九七式車載は7.7mmです。HPに誤って「MG15]と出ているので、
指摘されたのですが、これは南部さんは関わりない機銃です。弾倉
サドルバックも日本の考えではなく、MG15の単身から来てます。
ただ単身はドイツのショートリコイル方式ですが、2連はチェコ方式
新型戦車の機銃はブローニングかこれが選べられるはずでした。
HPの間違いは直していきますが、この機銃は日本の南部八九式2連、扇型弾倉(5発の保弾子を縦に入れる)と、発想が異なります。

No title

「九七式車載重機関銃取扱法」を引っ張り出して確認しました。
7.7粍でした。訂正します。

双連の陸軍「一式旋回機銃」は7.92粍とすると、単に陸軍「九八式旋回機銃(MG15)」と共通にしたと言う事でしょうね。
ただ、陸軍「九八式旋回機銃(MG15)」には7.92粍の「甲」、7.7粍の「乙」があったとの事ですが何年頃に切り替えられたのでしょうか?

No title

甲、乙は開発段階だったのではないでしょうか。とにかく威力が欲しいが目的でしたから。アメリカの現在訓練中の若者のパイロットが
この機銃を収集し、研究しいているので聞いてみます。彼は被いがドイツはベークライト、日本は木製だったが、日本にもベークライトがあった、当然ですが、という点を研究してます。

No title

一式旋回銃に7.92x57mm弾が採用されたのは、私如きが申し上げるまでもなく、
須川様も2010年11月23日のエントリーで「ドイツのライセンスを買ったものではあるまい」
「MG-15の弾薬に合わせて日本で開発したのだろう」と書いておられた通り、
既に九八式旋回銃と7.92mm弾が制定されていたためでしょう。

No title

zam*w*ff*n様
九八式旋回銃乙型は1944年に入って生産が行われています。
44年の生産数は僅か125挺、45年の生産状況は不明といわれますから、
到底従来の九八式を更新するには至らず終わった様です。

yak*ze*9*9様
難しい問題ではありますね。私なりの勉強も致しており、見解もありますが、
只でさえ手榴弾の話から機関銃の話に脱線してしまい、
これ以上本題から外れた私論を書き連ねるのは須川様に申し訳ありませんので、
この場でお答えするのは遠慮致したく思います。御容赦下さい。

No title

7.92mmはチェコの弾薬とのことでした。

No title

tom様
ありがとうございました。
「日本兵器(銃砲)はなぜ非常に模倣的・保守的であったのか」
の設問でしたが。
民族性、地政学、歴史に深く関わる疑問なので、そもそもこの狭苦しいコメント欄ではお答えが困難かと。

質問だけでは何ですので、私の見解を一言だけ明らかにしておきたいと思います。
この越中ふんどし(例えが悪く失礼!)のように長くなった諸氏のコメントに象徴されるように、

「細部へのこだわりは徹底して行うが、反面大きな戦略性、独創がない。」

これに尽きるのではないかと。

No title

tomさん、いろいろなお話情報、お礼申し上げます。他のところにも
お願いします。yakaさまにも御礼申し上げます。日本で研究するもっとも難しいテーマです。深海魚、ミイラなんかやったほうが楽です。研究とは言え、ものを操作したり、所持したり出来ません。一度、投げる訓練を受けると手榴弾もどういう兵器が分かるのですが。自衛隊員でも
実物を投擲したことはない、と言うひとが多いです。

No title

この研究は決して無駄ではないと思います。
思うに。少なくとも陸軍は、世界戦争をやってのけるような想定も準備もなかったのではないか。

偽書だといわれながら、執拗に大日本帝国の世界征服の計画があった証拠だといわれている「田中上奏文」に、
「支那を征服せんと欲せば、先づ満蒙を征せざるべからず。世界を征服せんと欲せば、必ず先づ支那を征服せざるべからず。」

昭和2年に、こんな明確な世界制服の国家目標などあるわけがない。
大戦開戦の昭和16年に、6.5ミリの小銃弾の風切り音が小さいから敵兵に威しの効く、7.7ミリにしたくらいの暢気な思想で誇大な目標を抱くか・・・。

継ぎ足しを重ねて複雑怪奇な兵器体系のありようを知れば、だれしもそう思うはずです。
旧日本軍の独特な兵器・装備の経過や全貌を明らかにすることは、歴史認識を正す一材料にさえなります。

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プロフィール

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Author:japaneseweapons
日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



刀,弓,槍,薙刀,甲冑,鎧,火縄銃,軍用銃,機関銃など日本の武器や兵器に関する須川薫雄の研究を紹介はここ:
日本の武器兵器.JP


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