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鉄砲鍛冶 全国にいた 安田先生の研究


昨日の松本から出た十匁筒の台のみ。
果たしてどのような鍛冶がこの銃身をこしらえたのか。
名古屋の歯科医、安田 修氏が東京国立博物館名誉会員小笠原 信夫氏の研究を引き継ぎ発刊した
「全国鉄砲鍛冶銘鑑」によれば、信州松本住では、
「国友 直定、国友 中島 長盛、そして富岡 善右衛門」の3名の名が見える。勿論、藩外に注文した
堺、国友筒である可能性はあるが。

私の父親の出現地の近く和歌山県新宮、あんなところと言っては失礼だが、「紀州新宮住」として5つの
名前が見える。

この銘鑑は2冊からなり、小笠原氏が全国の数県を除く県の教育委員会から入手した登録証の銘を元に
安田氏が、2001年に、「鍛冶銘」と「地域別」に分けて2冊の資料にして箱入りで発刊した。
大変な仕事であったと思う。

これでみると仙台から薩摩、種子島まで、全国に鉄砲鍛冶はいた。
現在登録されている火縄銃の多くは18世紀末から19世紀にかけて製作されたと推定するが、それに
しても、鉄砲を作るという技術はほぼ日本全国的なものだったようだ。
勿論、無銘の銃、出身地の不明な銃も沢山あったそうだ。

この銘鑑は製造された銃の数量的なものをとらえたものではないが、私の推定では江戸期においては
堺、国友各3分の1、その他がそれ以外の地域と推定してが、果たして堺、国友の作は多かった。
 
明治になり、「日清、日露戦争をひかえた小石川工廠では職人を旧鉄砲鍛冶に求めたという。(有坂氏の文)
鉄砲を作るという技術は一日にしては成せない。
火縄銃とは言え、それをつくる鍛冶が全国的にいたと言う日本の技術の底辺がなければ「富国強兵策」はとれなかったかもしれない。

話は戻るが安田氏は日本銃砲史学会の会員としても活躍されているが、この銘鑑(画像)は同氏が国から勲章をいただいても有り余る価値があろう。地味な仕事だが、ここまでやれた日本の文化の高さが証明できた仕事だ。

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プロフィール

Shigeo Sugawa

Author:Shigeo Sugawa
日本の武器兵器史の研究者、陸上自衛隊武器学校資料館アドバイザー。
目まぐるしく変化する国際情勢、その中で日本が対応する未来への策、安全保障を政治、経済、社会、報道などを多角的に分析する。
また趣味の狩猟、渓流釣りと自然、環境問題。そしてアート、音楽、歴史など文化面をも・・・その思うところを紹介したい。


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