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「晒し粉」は日本兵の常備品だったか?



日本軍装備品の「消毒苞」と言うゴムの袋を2つ見た。
いずれもまったく同じ寸法、作りだ。横18cm、縦29cmの平たいものだ。

一つは昭和十三年、もうひとつは昭和十九年の表示がある。十三年製は緑色○コ、十九年製は茶色だ。
(古いものは硬化しているが、十九年製○フの印字があるほう、画像は柔らかいほうだ。)
コ、フは製造会社名だろう。

晒し粉は消石灰(水酸化カルシュム)に塩素ガスを吸収させ白色の粉末で変化し易い薬品だ。
この粉を敵の毒ガス対策に使用する対化学兵器だったようだ。ガスに侵された部分に振り掛けるために
戦闘中も必ず、雑嚢に入れてあったはずだが。
ソ連軍は化学兵器を多量に最近まで保持していたが、アメリカ軍は太平洋戦線で化学兵器を使用した記録は読んでない。
びらん性毒ガスに対応する薬品として、第一次大戦中に開発されたものだろう。

表には横に「2外折目」「1外折目」「2外折目」と縦書きに、横書きに「縦折ノ形」と書いた図がある。
縦には平たいループ型の紐、横には○断面の紐、いずれも長さ50cmが取り付けられている。
裏には「晒粉線」という線があり「第一折目」「第ニ折目」の線がある。

晒し粉が変化しないように、このゴム袋を複雑に折り、さらに厳重に2本の紐で梱包して兵一人ひとりに
持たせたようだ。

日本軍が敵方の化学兵器をいかに恐れていたか、その一つの現象であろう。
この二つの袋を見ても最低6年間、日本兵は使うことのない、また効果が知れない晒し粉を持たされていたわけだ。

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プロフィール

Shigeo Sugawa

Author:Shigeo Sugawa
日本の武器兵器史の研究者、陸上自衛隊武器学校資料館アドバイザー。
目まぐるしく変化する国際情勢、その中で日本が対応する未来への策、安全保障を政治、経済、社会、報道などを多角的に分析する。
また趣味の狩猟、渓流釣りと自然、環境問題。そしてアート、音楽、歴史など文化面をも・・・その思うところを紹介したい。


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