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東京の縄文文化


大森貝塚を発見したのは、横浜に到着して東京に向かう途中のウイリアム・モースだった。

明治初期、彼が集めた厖大な日本の民俗資料はボストン郊外のピーボディ博物館の地下資料室で観た。
しかし貝塚は運べない。一昨年、訪れたら博物館は3倍くらいの大きさになり、知っている人は
皆いなかった。

この貝塚は大森から数キロ、都心に入った伊皿子のものだ。近くの資料館に、

高さ2m、幅数mにわたり、昭和50年代に発掘されたものを壁に復元してある。

何と80種類もの貝を食べていたそうだ。

今は寿司屋にいってもせいぜい2-3種類。 

この先の芝公園にもある。

東京湾は縄文人にとって住みやすいところだったのだろう。

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コメント

No title

この時代には上野や柴又のあたりは、海の底だったそうですから。
想像もつかないですな。

No title

縄文も後期ではないですか、大森、伊皿子のラインが海岸だったのは。

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日本の武器兵器研究、火縄銃から軍用銃までと多岐にわたり、 また急激に変化がある国際状況、日本の安全保障と外交を 論じる。



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