ライト兄弟とアメリカの和解
- 2007/04/28
- 21:39
1903年にライト兄弟が「フライヤー」で飛行に成功し、まだ100年間とちょっとしか経ってないが
航空機は工業として産業として、社会経済の大きな基盤のひとつだ。
20世紀発明は初期に航空機、後期にインターネット、で代表されよう。
ライト兄弟はオハイオ州、デントンの自転車屋だった。「風洞」を考え付いたのが彼らの成功の鍵だった。
しかし、その後なぜかアメリカと言う国を嫌い、兄弟は記念すべき「フライヤー号」をロンドンのサイエンスミュージアムに寄贈した。スミソニアンにあるのはリプロだ。
(この頃のアメリカの発明家はアメリカより欧州でもてはやされ、欧州に住んだり、そっちを向いていた人が多い。マキシムもそうだった。アメリカはまだ野蛮な国だったのだろう。)
画像は僕のFAA(アメリカ連邦航空局)のライセンスの裏だ。今度、カード形式になったのだが、サインはまだしてない。
航空の偉人ライト兄弟がライセンスの壁紙になっている。これには驚いた。
ライト兄弟は自転車職人で正規の教育を受けてなかった。
誰か馬鹿な奴が、ジャーナリストだろう、「もしあなた方に正規の教育があればもっと早く飛行に成功したのでは。」と言うような質問をしたそうだ。
兄弟は「正規の教育を受けていたら、僕等の発明は成功しなかった。」と答えたそうだ。