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日本海海戦の結果は30日に発表された。


27日から28日にかけての日露の日本海における開戦の結果は、29日どうも日本側が勝利したらしいと世界に伝わっていた。しかし当時の通信環境から、30日になって日本側は、日本は水雷艇3艦を失ったが、
バルチック艦隊のほとんどを壊滅させたと、世界に向かって発信した。

一番、よろこんでくれたのは、英国そして米国だった。他の国ぐには半信半疑であった。
ロシア皇帝は「悪いニュース」を日記に書きとめた。(小島 襄著「日露戦争」より)
また、日本に巨額の戦費債権を貸し付けた、ユダヤ系資本は喜んだが、その喜びはいまひとつのものであった。なぜならば、ユダヤ資本は二股をかけて、ロシアにも巨額の債権を発行していたからだ。
(日本からの回収は第一次世界大戦が始まり、日本に特需が発生した段階で返済ができた。しかし皮肉にもユダヤ系ロシア人が活躍したロシア革命で、ロシアからは全額回収できなかったと言う。)

バルチック艦隊は、外国に逃れた3艦の乗員以外の11000名のうち、5000名が死亡し、6100名が捕虜となった。日本側の死傷者は700名だった。
バルチック艦隊は戦艦8艦のうち6艦が撃沈され、2艦が日本側に捕獲。各種巡洋艦のうち5艦が撃沈され、2艦が日本側に捕獲、駆逐間は4艦が撃沈され、1艦が日本側に捕獲。そのた2艦が沈没した。
従って17艦もの艦艇が撃沈されたと言う事実は、ロシアは海軍力においては、立ち上がれないほどの大きな打撃を受けたわけだ。(データーは明治37・8年海軍史より)特に戦艦8艦を一挙に失ったことは
国力減退を意味した。
この事実は、ルーズベルト大統領が心配していた、ロシアを講和交渉の席につける条件以上の成果であったことに間違いない。
100年前の今日、日本は始めて世界にその近代化の成果を認められたのだ。
(画像は観戦武官と画家、このような記事を書く観戦武官と画家がセットになり、日本の艦船にも同乗していた。命がけの仕事だったろう。3軍に同行したRichard BarryとアーチストのFredrick villiers)

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Shigeo Sugawa

Author:Shigeo Sugawa
日本の武器兵器史の研究者、陸上自衛隊武器学校資料館アドバイザー。
目まぐるしく変化する国際情勢、その中で日本が対応する未来への策、安全保障を政治、経済、社会、報道などを多角的に分析する。
また趣味の狩猟、渓流釣りと自然、環境問題。そしてアート、音楽、歴史など文化面をも・・・その思うところを紹介したい。


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